15.偽善者?負け犬の遠吠え:偽善者?米国の元副大統領ゴア氏が地球温暖化を憂う映画を作り世界中を廻っているらしい。 アカデミー賞の特別賞か何かを受賞しゴア氏は鼻高々だとか。 そのゴア氏のテキサス州にある豪邸が一般住民年間平均の20倍以上の電力を消費していると地方紙がスッパ抜いた。 地方紙は、ゴア氏を『偽善者』と非難し、ゴア氏は自然エネルギーを使ってるし、環境保護の団体にも投資してるし・・・と反論してるらしい。 全く馬鹿馬鹿しい話である。 ゴア氏と云えば副大統領の時に、ある小学校を視察し、小学生が書いた『正しいスペル』を「これは間違っている!」って『書き直して間違えた』オッサンだったと記憶している。 記憶違いかも知れないが・・・。 『まあ、猿よりは幾分かはマシ、但し小学生以下』と云うのがゴア氏に対する一般的な評価だろう。 その猿、いやゴア氏が一所懸命に『地球温暖化』を阻止しようとしているのである。 少し位は褒めてやれよ。猿なんだから・・・。 ゴア氏も変に反論するから見っとも無く感じてしまう。 『猿でも一所懸命やってます!』って言えば少しは同情もあるだろうに・・・。 嬉しくないか・・・。 別に猿、いやゴア氏(少しシツコイ?)を如何のこうの言いたいのではない。 ハッキリ云って、ゴア氏など如何でも良いことだ。 『偽善者』って云う言葉に引っかかったのだ。 『ケチ』や『人でなし』なんかと同じで『偽善者』って云う表現は余り人に好かれない。 何なら、隣の人に『この偽善者が!』って言ってみると良い。 殴られる位なら儲けものだと思う。 でも『世界に平和を!』とか『ミンナで仲良く!』なんて言ってる人は善い人なんだろうか? 『でも、裏切ったらポアよ!』って一言付け加えれば、死刑判決を受けた、非常に胡散臭い某宗教団体の指導者になってしまう。 だったら、『地球のことなんて如何でも良いじゃねえか!俺の知ったこっちゃねえ!』なんて言う奴が立派なんだろうか? そんなことを云われれば、『環境破壊で増水した海水にフヤケテ死んじまえ!』って怒鳴り付けてしまいそうだ。 『確固たる正義』なんて云うもんがあって『その正義って皮を被った小市民』が『偽善者』だって気がしてる。 でも『確固たる正義』って何だ? 腹が減って死にそうな人には、七輪で秋刀魚を焼く匂いは堪えられないだろう。 でも、隣人にとって魚を焼く煙なんて迷惑この上ない。 ある人には『凄くメリットがある行為』も別の人にとっては『凄いデメッリトが伴う行為』なんてことは世の中にウジャウジャしてる。 そんな中から『確固たる正義』や『唯一つの正義』なんて見つかるものだろうか? キリスト者がイスラムやユダヤ主義者と仲良くしているなんて・・・『夢』を通り越して『悪夢』に魘されそうだ。 信教なんて自分自身だろ? テメエの主義主張を忘れて、『仲良くする』なんて自分自身の否定じゃないか。 『ミンナで自殺しましょうよ!』って云ってるのと如何違うってんだ? だから『世界に平和を!』『ミンナ仲良し!』なんて実現する筈がないし、実現したとすれば信じられないくらい非人間的な社会なんだろうな・・・多分。 『恵まれない人に愛の手を!』 ・・・放っといてくれ!!! 善い人が言いそうな言葉って凄く胡散臭いし、善くない人?が言いそうな言葉って酷く腹が立つ。 そんなカオスの中を生きている。 勝った満足感に浸る人がいる。 勝った人を賞賛する人がいる。 勝てなくて涙する人がいる。 勝てなくて涙する人の哀しい笑顔を賞賛する人がいる。 全部が正義で、そして酷く胡乱である。 『所詮は自己満足じゃねーか!』って一言で終わってしまう脆さを内含している。 安保闘争の真っ只中のコンサートでは、左派学生とステージで殴り合いをしていたと聞く泉谷しげる氏。 そんな泉谷氏が人知れず『チャリティ・コンサート』なんてやってたことがある。 それを毒舌の中島みゆき女史が一言。 『偽善だ!』 それを聞いた泉谷氏は『そうだ。偽善だ。俺は偽善者だ!』って開き直って『チャリティ・コンサート』を継続した。 『何かチョッとカッコいい!』って思ったことを思い出す。 『偽善だ!』って開き直れば、自分にとって少し素敵だと思えることが出来るような気がする。 そうやってミンナが少しづつ自分で素敵だって思うことをしていけば少しはマシな社会になりそうな予感がする。 『これが正義だ!』なんて声高に叫んで人に強制するよりズーットマシな社会になりそうな予感がする。 『俺は偽善者だ!』ってボソッと口ごもりながら、チョッと素敵なことをしてみるのも悪くない。 |